講師養成コース・クラスメートのフェルデンクライスATM(グループ)レッスンを昨夜2つ、今日1つ受けて気づいたこと。


最初のA氏のレッスンは、仰向け状態で頭を横向きにして掌で抑える姿勢から始まり、からだの中を縦横斜め無尽にラインを引きまくる感じ。
複雑な指示が多くて、なかなかイメージができず悩みながら動いた。
脳がかなり活性し、じゅんじゅんに背骨が軽快にほどけた。


長年「私の首は傷んでいる」と思っていたが違うかも。
痛みがあったときに過保護にしていたら、動き方を忘れてしまい錆びてしまっていただけではないかと、首に対する見方が変わってしまった。


この首の安らぎ感は3月6日にFI(個人レッスン)を受けた時にもあったなぁ。
その時は傷んだ首をケアしてもらったと脳が処理していた。
なんで?
信頼している先生になんとか治してもらいたい…という依存どっぷり。
首はダメな子だと認定したまんまでレッスンを終えたから、首は目覚めてもすぐ動けない子に戻ってしまった。




モーシェ・フェルデンクライス博士の代表的な言葉「不可能を可能に、可能を容易に、容易を優雅に」。
この「不可能を可能に」の部分がストンと腑に落ちた。
言葉の意味をからだやこころでわかっていなかったことがわかった。
自分の首に可能性があると確信を持てた今、目、腰、膝に対しても向き合い方を変えたいと思う。




感動しつつ、次はK氏のレッスンを受ける。
シンプルな指示だから自分で工夫しながらいろんなパターンで動ける。
やり慣れた動きなので今度は「可能を容易に」が腑に落ちるのか??
いやいや…そうは問屋が卸さない。

ほどけた背骨を縦半分に折り曲げて、肋骨を肋骨たるものに生き返らせるようなもの。
肋骨に囲まれている内臓たちも嬉しそう。
呼吸も深くラクになる。
迷うことなく楽しい。


今朝は平素より格段に爽やかな目覚めだった。
あまりに嬉しすぎてA氏にお礼のメールをする。


そして今日はM子さんのレッスン。
90分間のほとんどが、からだを内側から丁寧に観察する指示。
あごをほんの僅か動かすだけなのに骨盤や足裏までさざ波のような動きが伝達される。
前日のA氏のレッスンとは対照的な内なる動きで、背骨24個を個々に感じて、動かす。
残念ながら全部を動かすことはできなかったがどの部分が感じにくいかはわかった。
椎骨を感じよう、動かそうとするとあちこちがむずむずとしてくるのが面白い。





2006年11月3〜7日の講師養成コースの体験WSから丸4年が経とうとしている。
この4年間あきらめなくってよかった。


花ひらく
道ひらく
心ひらく


今のところ花も道も心もひらいた実感はないが、あきらめなければ自分なりの花が咲くのだろうと思えるようになった。


自分のからだを投げ出さなくてよかったと本当に思う。
講師養成コースの落ちこぼれの私でも(私だから?)たくさんの気づきがあった。
特にこの数カ月は濃厚だ。
来年1月でひとまず卒業するが、棺桶に入る瞬間まで学びと気づきと喜びは続く。
小さな積み重ねが人生をよりよいものにしてくれるだろう。


フェルデンクライス・メソッドで自分の花を咲かせよう♪



24日は恒例の京都での安井武先生のフェルデンクライスWSに参加する。
また新たな気づきがあると思うだけでウキウキする。


A氏、K氏、M子さんありがとうございます。
またよろしくお願いいたします♪